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〈密着取材〉ポーランド孤児救出から100年 先祖の足跡たどる旅 人道の港・敦賀では先祖の記憶追体験

2024.06.13 18:45

みなさんは自分の先祖がどのような人生を歩んできたかご存じですか?福井テレビでは、自分の親や祖父母の足跡をたどろうと、はるばる日本へとやってきた外国人のツアー旅行を取材しました。参加したのはポーランドを中心とした5か国から集まった38人。彼らの先祖は、約100年前の日本である共通の経験をしていました。東京や大阪などを訪れたツアーの様子に密着しました。
   
5月31日、東京にある社会福井法人「福田会」で、ポーランド孤児受け入れから100年たったことを記念する式典が行われ、高円宮妃久子様がご臨席されました。式典後、久子様に何かを手渡したポーランド人家族がいました。ポーランド孤児の子孫のエヴァさんと孫のアレクサンドラさん(9)です。
   
エヴァさんたちが久子様に手渡したのは手作りのプレートです。そこには自分たちの先祖が、かつて日本に助けられたことに対する感謝の気持ちがつづられていました。「父の気持ちを高円宮妃久子様にお渡ししました。ポーランド孤児の子孫からの感謝のプレートです」と話すエヴァさん。「皇室の方に感謝の気持ちを表したかったんです。直接お目にかかることができてとても光栄に思っています」と目を輝かせました。孫のアレクサンドラさんも「ちょっとドキドキしたけどすごく幸せでした」と笑顔で話しました。
  
エヴァさんの父、バツワフさんは約100年前にシベリアで救助され、日本に避難してきたポーランド孤児の一人でした。
 
当時、ポーランドの隣国のロシア・シベリアには約20万人のポーランド人が生活していました。ところが1917年に起きたロシア革命の影響で、多くの子供が親を失い孤児となりました。その救済に名乗りを上げたのが100年前の日本だったのです。
 
ポーランド孤児救済事業とよばれるこの出来事は、日本赤十字社にとって初めての難民支援活動となりましたが、3年間で763人の子供たちがシベリアから救出され、日本を経由して祖国ポーランドへと送り届けられました。
  
エヴァさんの父バツワフさんが、日本から帰国して75年後の2000年に撮影されたインタビュー映像があります。
 
バツワフさん:
「港の名前は敦賀でした。日本のことは想像したこともなかったです。しかし日本に到着して着物を着せられると、とてもうれしくなりました」
 
バツワフさんは福井県の敦賀港から日本に上陸し、大阪の収容施設で静養、そこで算数や日本の歌を教わったと言い、童謡を口づさみます。
 
バツワフさん:
「もしもしカメよカメさんよ 世界のうちでお前ほど 歩みののろいものはない どうしてそんなにのろいのか」
 
孤児たちが日本に滞在したのは数週間から半年と短い期間でしたが、彼らの心には日本での記憶が深く刻まれ、帰国後も忘れることはなかったのです。
 
孤児救済事業が終了してから100年。5月末、エヴァさんたちポーランド孤児の子孫38人が日本を訪れ、自分たちの先祖の足跡をたどりました。孤児たちが上陸した敦賀湾では、靴を脱いで海に入ったり砂を集めたりと、先祖から聞いた記憶を追体験していました。「私の祖父がポーランド孤児でした。敦賀は祖父にとって初めてたどり着いた安全な場所でした。だからこの場所の土をポーランドに持って帰り、祖父のお墓にささげたいです」と感激した様子で話しました。エヴァさんも「ここに父がいたと思うと感動して泣きそうです。父はシベリアで育ち、初めて敦賀にやってきた時に『天国だと思った』と言っていました」と目を潤ませました。
 
子孫たちは福井の他にも東京や大阪などを訪れ、ポーランド孤児が立ち寄った施設や団体に、感謝の気持ちを伝えて回りました。そのうちの一カ所が久子様と面会したのが、福田会の児童養護施設だったのです。
 
福田会は100年前にポーランド孤児が静養した施設で、当時孤児たちが写真を撮った坂が現存していることから、救済事業のシンボル的な存在となっています。今回訪れた子孫たちは「自分たちの先祖が撮影した坂で写真を撮りました。とても感動的です」と話しました。
 
福田会では、4年前から、世界各地に散らばった子孫を人づてに探し出し、今回の足跡をたどる旅を企画しています。実際に先祖が訪れた場所を見てもらうことで、ポーランド孤児救済の歴史を未来に伝えてもらえればと考えてのことでした。
 
福田会・太田孝昭理事長:
「ポーランド孤児救済事業は日本の誇りだから、それを語り継ぐ責任が福田会にはあると改めて思いました。準備に4年かかりましたけど本当にやってよかったです」
 
旅の終盤に一行が訪れたのは兵庫県の神戸港です。孤児たちが祖国へと旅立った場所の一つです。
 
ガイドが「神戸港から子供たちが船に乗り込む写真が残されていますが、あれはここで撮られたものです。これが子どもたちが見た最後の日本の風景です」と説明すると、子孫たちは自分たちの先祖が最後に見た日本の風景を、自らの目に焼き付けていました。
 
子孫たちは「すごく感傷的な気持ちです。父がどういう気持ちでこの地を踏んだかを感じることができました」「歴史的な事実として聞いていただけだったが、実際に見ることができたのでそのことに感動しています。自分の目を通してみることでしっかり理解ができました」などと感慨深げに話していました。
 
1週間の日程を終え、それぞれの国へと帰っていった38人の子孫たち。100年前に日本で行われた人道の歴史を、これからは彼らが次の100年へと語り継いでくれることでしょう。

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